27 January 2011

カウラでの野菜栽培

オーストラリア北之台開発のあるCowraは、原住民(Wiradjyuri族)の言葉で”Coura”は岩、その岩を抜けるように川が流れる豊かな土地だったそうです。ヨーロッパの移民が始まり、そこは牧草地に変わり、小麦の生産やワインの生産などが始まり人口が増え始めました。同時に、地方都市としてCowraは歴史的にも大きな役割を果たしてきました。

北之台の初代社長の井口昌司氏は、戦争の悲惨さを身をもって体験され、世界にとって何か役に立つことをさせてもらわなくてはいけないと、よく話されていたそうです。そして、Cowraの日本人墓地のことを知り、自ら慰霊のためにCowraに足を運ばれたそうです。そこで、Cowra Breakのこと、その事件で不幸にして命を落とした英霊に対し、オーストラリア人がひとつひとつ墓を作り守ってこられたという話に深く心を打たれ、井口社長はCowraを、世界と未来のために自然栽培を始める地にふさわしいと選ばれたに違いないということです。

そして1996年、自然栽培により、とうもろこし、カボチャ、じゃがいも、インゲンなどが試験的に栽培されました。そのできはとてもよく、本格的な栽培にむけての土地探しが始まったそうです。そして、その年の暮れには、Lachlan River(ラクラン川)の川岸にある50ha(ヘクタール)の平坦な土地を購入、北之台開発による自然栽培が1997年4月から本格的に始まったそうです。

自然栽培の命は土地づくり。最初の取り組みは、なんと牛の糞取り!だったということです。この土地で、以前は、主に肉牛を100頭以上が放牧されており、そのため、畑のいたるところに牛の糞が落ちていたそうです。佐野さんによると「我々としては、この糞を土に鋤き込んで浄化させることを考えていたが、社長の考えは我々とは違っていた」ということです。さて、川口社長の下した指示はといういと・・・。

畑にある牛糞を全て畑の外に出すようにという指示。畑の外とは、50haの土地の外に出すということ。1haが10,000m2なので、どれほど大変な作業が要求されたか想像してみてください。しかし、佐野さんらはこのことから、このプロジェクトに賭ける社長の想いの強さを痛切に感じたということでした。

「我々の考えの甘さを感じ、海外で成功していくには中途半端な考えではいけないし、今後の事業運営にも影響するからであろう思われた。社長のこうした不退転の姿勢に身が引き締まる思いであった。離れたオーストラリアの地であっても社長の思いはストレートに伝わってきた」ということです。

牛糞取りは、4月から2カ月間かかったそうです。「オーストラリアの4、5月といえば、夏の終わりから秋に入る季節であるが、昼間は40度近い暑さになり、当時の2ヶ月間はほとんど雨が降ることがなかった。雲もない晴天が続き、男3人、女2人の5人で乾燥した畑での糞取りは毎日続いた。牛糞取りの作業はほとんど手作業で行われ、畑の隅々まで歩きまわった。お陰で畑全体の状態がどのようになっているかを掌握することができた。2カ月間で集めた牛糞は、8tトラックで100台以上にのぼり、地元のカウンシルの協力によって畑の外に出す業務を遂行することができた。この牛糞取りには多くの地元の方々に協力してもらい、自然栽培を実施するためにどれほど徹底した取り組みを行ったか理解してもらうことができた」ということです。

このように、北之台開発の徹底した自然栽培が始まりました。

「牛の放牧により固まった土地を耕起。日本の冬至から立春にあたる、オーストラリアの6月23日から8月4日に天日、雨、風、霜等で土を自然浄化させ、8月4日が過ぎ、自然栽培の基本通り畑の耕運を始めた。冬の間に雨が降り、霜で凍った土は天日によって細かく砕け、あれほど硬かった土がディスクハローをかけると嘘のように軟らかい土になった。この土であれば作物は立派に育つであろうと安堵した」ということ。同時に当初は、売り先を探す仕事、また、拠点の増築も行っており、そうです。建築が終わるまでは、本当に不眠不休の毎日であったということです。

自然栽培で作られたものを、どのように販売を展開させていけばいいのでしょうか。それもオーストラリアで。みなさんはどう思われますか?

佐野さんらは、地元の人からオーガニックの認定を勧められたそうです。日本ではすでに認証のための経験があったそうですが、オーストラリアでの認証取得となると、不安だったそうです。しかし、自然栽培の理解者からの助言により準備が進んだということです。申請にあたり、3年間の畑の経歴が必要で、どのような農薬や、化学肥料を使用し、どのような農作物を栽培してきたかなど書類に記載し、検査委員が聞き取り調査に農場を訪れるそうです。

1998年1月、土壌分析の結果が出て、基準値を超えた残留農薬が残っており、そのため、地上部を収穫する野菜に限っての限定付きでの認証が下りることになったということです。この認証は、地上部での穀物(小麦等)や地下部のイモ類(ジャガイモ等)に関しては、残留農薬の影響が現れるとして認可にならなかった。1月末、ついに念願のオーガニックの認証が下り、条件付きの認証ではあったそうですが、ライセンスナンバー2332の認定証を受け取ったということです。認証を得たことにより、国内での販売が活性化し、オーガニック店への出荷、フリーマーケットでの販売などへと拡大させています。また、オーストラリアのマーケットに合ったほうれん草などの作物の収穫を伸ばし販売することが、経営の柱となってきたということです。

この10年あまりを振り返り佐野さんらは、「何度か絶望的な状況に陥ったこともあった。2000年7月、初代井口社長が他界された。当時を思うとその時が一番厳しい状況であったかように思われる。しかし、どんなに苦しい時があっても仲間で励ましあって乗り越えて来た。本当に乗り越えることができたのは、オーストラリアの人々に助けられたからでもある。それは、栽培したほとんどの野菜がよく売れたからである。現地の人たちに買ってもらうことによって助けられたということを実感した。他国にいてこんなに力強く感じさせる協力者はいなかった。本当に感謝で一杯である」。

「本当に良いもの、美味しいものに真剣に取り組むことによって、人は味を通して栽培を理解し、活動に協力してくれることが我々の貴重な経験であり、これが経営方針でもある。また、厳しい栽培環境ではあったが、自然を尊重し、自然に順応していく自然栽培を進めていくと自然をもが協力してくれることを何度も体験した。長く厳しい旱魃が続くオーストラリアではあるが、その時々の状況に応じて栽培体系を替え、水の使い方を工夫しながら取り組むことによって不可能を可能にしてきた。このことは今までの常識からでは考えられないであろう。おそらく、実際に取り組んだ者でなければ実感として理解できないことでもあろう」と。

今もCowraで、オーストラリア北之台開発のメンバーは厳しい自然と向かわれて、畑に立たれています。自然栽培について、より多くの人たちが理解を深め、そのことにより、自然と食の関係が豊かになれるということを、これかれも私の活動のひとつとしていきたいと思います。

http://career.alc.co.jp/kaigai/ryori/bn/139.htmlより引用

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